『鋼の錬金術師 嘆きの丘(ミロス)の聖なる星』公開記念 村田和也監督 スペシャルインタビュー



いよいよ7月2日(土)から公開となった『鋼の錬金術師 嘆きの丘(ミロス)の聖なる星』。今回、エンタジャムでは、映画公開記念として、村田和也監督に本作の魅力や、作品に込めた想いについて語っていただきました。


—いよいよ映画公開の日を迎えましたが、その感想をお聞かせください。
村田監督「待ち遠しかったです。一刻も早くより多くのお客さんに観ていただきたいです(笑) 関係者の皆さんはドキドキハラハラしていると思いますが、僕はワクワクのほうが先で楽しみでしょうがないです。」
—TVシリーズが2つ、前の劇場版があり、もう十分「鋼の錬金術師」は映像化されたのに、何故また映像化するのかというファンの声もありますが、監督の中で、今回の映画を作る意味とモチベーションはどこになったのでしょうか。
村田監督「原作が終わり、そして原作に沿って作られた「FULLMETAL ALCHEMIST」も終わってしまうことがハッキリした時に、プロデューサーチームの中で、このまま終わってしまうのは寂しいと。なんとか「鋼の錬金術師」というタイトルで、もっと何か作れないかという議論があったらしいんです。
それで、真保さんへの発注がされたほぼ直後くらいに、僕に監督の依頼が来ました。監督を正式に引き受けるまで、何日間か考えた期間があって、引き受けますと返事をした数日後には真保さんからプロットが上がってきました。なので、僕自身が、この作品で何をしたいかということに思い悩む前に、真保さんからアイディアを出していただいたかたちですね。それで、そのプロットを読ませていただいたら、すごく面白くて(笑)「鋼の錬金術師」という作品がこれまで歩んできた、一番大事なテーマに触れて物語が作られている印象を受けたんです。今回の映画は、おまけのプラスαというより、むしろ、「鋼の錬金術師」という作品を語る上で、さらに隠された真髄を皆さんにお見せする作品だと思います。
原作では、基本的にエドとアルの活躍を見せつつ「約束の日」というものに向けた「お父様」の計画という、大きな流れがあり、それに伴ってホムンクルスたちがいろいろと動いたりと、大きな流れがあるんですけど、もっと視野を広げてみた時に、“錬金術”というキーワードによって、より広い範囲の人たちを描くことができるんじゃないかと思いました。メインのストーリーとは直接関係ないところで、もっといろんな人たちとの繋がりを描けるんじゃないかと。原作の荒川先生が描かれなかったアメストリスの外側について触れることができるということに面白味を感じました。
錬金術とは、人の命とは、人間の欲望とは何かみたいな部分が、この作品の根底に流れていて、それを真保さんの脚本がうまく拾いあげて料理されている感じがしました。あと、映画ならではのスケールや迫力、躍動感というんでしょうか、アニメーションとしての面白味を、このお話だったら表現できると思ったというのが大きかったです。
テーブルシティーとミロスの谷という、限定された、でも大きな舞台があって、キャラクター達が縦横無尽に走り回って動き回る。そこが映画として、アニメーションとしての醍醐味でもあるし、大きいスケールによる空間表現ができそうだと思いました。」

—最初のプロットと完成版で何か変更された点はありましたか?また、どのように肉付けしていったのでしょうか。
村田監督「基本軸はブレていないです。真保さんには、キャラクターの心情面を深く掘り下げてくださいとお願いしました。谷底の人たちとジュリアとの関わり合いや、谷底の人たちの日常感の描写を掘り下げてくださいと。要はジュリアが守りたい対象であるミロスの谷がどういうところか、どういう人が住んで何をしているのかというところを掘り下げたかったんです。あとはジュリアとエドとアルの心のつながりみたいなものを、もっと掘り下げて欲しいというオーダーをさせていただきました。
さらに、真保さんからいただいた脚本の決定稿から絵コンテにするにあたって、スタッフと相談しながらキャラクターの心情面をさらに堀り進めて、ジュリアとメルビンの過去とか、よりキャラクターの心情の落とし所をクリアにしつつ、お客さんに納得していただけるように工夫を積み重ねていった感じです。」
—この映画の後、TVシリーズ「FULLMETAL ALCHEMIST」へと話は戻っていきますが、「FULLMETAL ALCHEMIST」全体の中で、また、エドとアルにとって、本作はどのような位置を占めているのでしょうか。
村田監督「彼らがより広い視野をもって物事に接し、人間を見るということにつながっていくと思います。「FULLMETAL ALCHEMIST」の最終回でエドとアルが旅に出ますが、今回のジュリアとの出会いと別れというのが、その旅の動機のひとつになって、ストーリー全体の中で、大きな“ループ”として、閉じる糸口ができたかなという気がします。」
—本作もそうですが、村田監督が今まで携わってきた作品を拝見すると、迫害された人々がテロに訴えるといった描写が多いように思います。何か、少数派が力に訴えて行動するということに、監督自身が何か惹かれるものがあるのでしょうか。
村田監督「特にないです。例えば、学園ものや恋愛もの、日常生活を描いたものと、大国同士の争いで犠牲になっている小国があるということ、これらは自分の中の比重では同じなんです。
日常生活の中に見いだせる人間の本質は何かという事柄と、戦争から見出されるものは何かというもの、それらは人間の本質という意味では同じ価値を持っていると思います。物語を作るうえで、今回はこういうお話で、こういう所を見せていこうみたいな、要するに比重の問題ですよね。僕自身が、社会的な強烈なメッセージとか、イデオロギーをもって作品に取り組んでいるということではないです。」
—そういった激しいエネルギーに惹かれるということもないですか?
村田監督「そういう状況に置かれている人だったら、当然そういう腹立ちとか復讐心とかを抱くだろうという、人間の心情のリアリズムであって、僕はその怒りを代弁しているということではないんです。
迫害されている民族は、当然、迫害している連中に怒りを覚えていて当たり前だと思います。その怒りの強さは迫害されている度合いに比例するわけですし、そこは強く迫害されている人ほど強く怒っている。それは当然のことだと思います。それは物語の中においては、その世界観を作った時点で自動的に発生するもの。それが僕の人間に対するリアリズムですね。それをありのままに描けているとお客さんが感じられた時に、初めて、お客さんの一人一人の心の中に『人間の何たるか』を感じ取っていただける。そして、それこそが作品をつくる根底的な意味だと思います。
しかし、それを社会的なメッセージだと受け止められるお客さんがいらっしゃるならば、それもまた作品の果たす役割だと思うので、それを僕は否定しません。
今回の『ミロス』に関していうと、アメストリスとクレタとミロスのそれぞれの『正義性』を客観的に語れるほどの情報を映画の中には盛り込んではいません。しかし、ミロスの人々が『自分たちの国を取り戻したい』『平和な日々を送りたい』と切実に願う気持ちは事実として存在します。その気持ちと、それを実現しようとするジュリア達の思いは、お客さんには解ってほしい。そこがこの物語の原動力になっていますから。そこは意識して作っています」
—「鋼の錬金術師」という作品の中では、人の死というものが、時に痛々しく描かれています。人の死というものを描くことに対して、どのようなスタンスで演出していますか。
村田監督「人の死というのは、人の”生”を際立たせるものだと思っています。死ということがあることによって、人間は生を定義できると思っています。
人間って好奇心の生き物で、世界の有り様を見定めたいという欲望が常にあります。人が生きている、動物が生きているということが、どういうことであるかを見定めて、それを実感として感じるためには、人が死ぬというのが一番端的で明快な答えなんです。死というものがあることによって、自分たちが生きていることの意味を、それぞれ自分なりに発見することができる。そういう意味で、物語の中に死が登場するのは、ある意味必然で、生きるということに触れるには、死を避けて通れない。人の命の有りようみたいなことについて、全然考えなくて済んでしまう物語であれば、敢えて死を取り上げる必要は全然ないんですけども、自分がより良く生きるために誰かを殺してしまうとか、自分の命を守るために、誰かを殺さなければいけないとか、そういう極限状況を描くことによって、人が生きるとか、自分が生きるとかとかが、より明確に見えてくると思うんです。人の死というものを、感情的に描くとか、ドライに描くとか、自分はどのようにそれを描きたいとかは思っていなくて、その死を見た人が、どう受け取るのかによって、死の描き方が変ってくると思っています。
深い心のつながりがある人が死んだ場合に、すごく悲しむというのは自然なことですし、大きい事故に遭ったりして、物理的に人間が生き続けられないという状況があった時に、死ぬというのは、それは当然だという描き方もあるでしょうし。例えば、戦場で激し戦いの中で人間が物のように破壊されていくというのも、そういう事実がある状況の中では、そのように描かれます。
生き死にというのは、どういう状況でも有りうることで、その人物の死を描くことにどういう意味があるか、どう意味がないかというのは、その時々の物語によって要求されるものが違ってくるし、それを表現する者の立ち位置を何処に据えて物語を見るかによっても変ってきます。僕自身が映画を作る上で、どこかに定位置があって、常にその定位置から人間を見つめているということではないということです。」

—最後の質問です。今回の物語を「FULLMETAL ALCHEMIST」第20話のすぐ後に設定した理由は何ですか。
村田監督「理由はいくつかあるんですが、第20話までは一話一話が完結的で、ひとつひとつのエピソードが比較的独立しているので、エドとアルの錬金術師としての活躍が純粋に楽しめる。その頃の鋼の雰囲気をもう一度やってみたいというのが、プロデューサーチームの思惑のひとつでした。後半は、エドとアルがどんどん大人になってしまって、大きな状況の中で自分たちの役割を担っていくというキャラターになっていくんですけども、そうなる直前のエドとアルを描きたいというのがありました。
また、エドとアルがそれなりのものを自分たちの中に得た状態で、(この映画の中で)新たな出会いをして欲しいという思いもありました。賢者の石というものを使ってはいけないというのが分かって、錬成に失敗して埋めてしまったお母さんの遺体を、本当にお母さんだったのかを確かめるために自ら墓を暴き、それが母ではなかったというのが分かって、人間は錬成できないんだと、魂はかならず肉体に宿るんだということにエドが思い至って、アルの体は必ずどこかにあると、存在しているに違いないという一つの悟りを得る。そして、次へ力強くステップアップしていけるという主人公になっているが故に、大国の狭間で困っている国の人々と出会った時に、その人たちへの包容力というか、それに対して真摯に対応できる“人間力”が身についているというんでしょうか、そういうキャラクターであって欲しい。ちょうど大人と子供の狭間にいるエドとアルが、今回の映画で活躍している。そんな感じですね。」
—ありがとうございました。


『鋼の錬金術師 嘆きの丘(ミロス)の聖なる星』
2011年7月2日全国ロードショー
配給:松竹・アニプレックス
公式サイト:http://www.hagaren-movie.net
(C)荒川弘/HAGAREN THE MOVIE 2011



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