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更新 2008年07月24日

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『怪談新耳袋』三宅監督&井口監督インタビュー【後編】

先週に引き続き、今週は三宅監督&井口監督インタビュー後編をお届けします!後編では、三宅監督が脚本を務め、井口監督がメガフォンをとった『ぎぃ』について訊いてきました! <前編を読む>

『ぎぃ』
幼稚園の先生になる夢を持つ家庭教師兼ベビーシッターの松島亜季(大政絢)。キャリアウーマン風の外山紀子(八木小緒里)の5歳の子供の剛(加藤清史朗)を担当することとなる。ベビーシッター初日、亜季は紀子に剛を紹介されるが、挨拶をしても剛からの返答はなく、寝そべって絵を描いていた。絵には、大きく真っ黒な人間のようなものが描かれていた。亜季は剛に“それ”は「ぎぃ」いう名前で友達であるということを聞き、また「ぎぃ」は“邪魔な人を消し去る”技を持っているのだという。その話を聞き、不審に思った亜季は…。



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インタビュー(04:42)



──井口監督は、『怪談新耳袋』で中編は初めてですよね。

井口監督(以下:井口):そうですね。やはり、作り方も、5分の短編バージョンと中編はだいぶ違うので、その辺は意識しましたね。『ぎぃ』では、日本の家屋ならではの湿気というか、日本のウエットな怪談的なものは出していきたいなと思ったんです。原作は『新耳袋』ではないんですが、『新耳袋』っぽさを意識して作りたいなと思っていました。どっかでありそうな恐怖というか、一種の子供サイコドラマです。

──子役の加藤君の演技は上手でしたね。

井口:大変でしたけどね…。芝居はできる子だったんですけど、子供に芝居をつけるというのは意外と苦労があるんです。

──『ぎぃ』はダークなおとぎ話の感じがしましたが、どのように考えていたんですか?

井口:三宅さんが狙った部分と、僕がやりたい部分でけっこう重なったところが多かったので、そこは作っていた楽しかったですし、ここに向かえばいいんだみたいなのはありました。幼児期にみた邪気の悪魔っ子的なファンタジーにも見えるようには作りたいなと思っていました。

──劇中の“ぎぃ”がすごく異色じゃないですか。イメージはどのように決めたんですか?

井口:“ぎぃ”に関しては三宅さんと山口プロディーサーとどう表現するかすごく悩んだんです。原作は、声だけで実体が見えないんです。でも、50分の作品なので、声だけというわけにもいかないので…。でも、三宅さんの書いた脚本には毛むくじゃらの大男とありましたので、“黒いドラ●もん”と解釈すればいいのかなと思ったんです、怖さもあって、大きい化け物で男であるけれども、どこかで6歳の男の子が頭で考えたような可愛らしさや愛嬌みたいなものがあると思うんです。ラストに顔を映すかどうかは三宅さんと議論しました。目が光るという設定をどう表現するべきか。結局は、子供が妄想で作ったような顔の表現にしました。

──“ぎぃ”から触手も出ていて井口監督テイストが出ていましたね。

井口:そうですね(笑)。あのへんは三宅さんの脚本を膨らましたんです。

三宅監督(以下:三宅):あそこは完全に井口さんコーナーになってましたよね(笑)。

井口:化けでも、子供が作った化け物なので、訳わからないことはすると思うんですけど、単に首絞めたりとかはしないで、触れたいだけとかだと思ったんです。トラが子供にじゃれたら、そのまま子供が死んじゃったみたいな、悪気はないんだけど相手にしてみたら、恐ろしいことになっているという感じが出せたらなと思いました。

──八木小緒里さんの演じた母親の役にはどのような考えがあったんですか?

井口:八木さんだったら、あまりやったことのないお芝居のトーンで、子供にも情がなく、現代的なお母さんの役を演じてほしいなと思っていました。この三週間後くらいにBS-iの『東京少女』で大政絢さん主演、八木さんが相手役で撮ったんですけれども、今回のと全く逆の役なんです。八木さんには女忍者のバカバカしい役を演じてもらったんですけど、役者さんって幅があるなとつくづく思いましたね。同じ人が共演して、全然違う役とかおもしろいですね。

──撮りきれなかった部分はありましたか?

井口:ありました。クライマックスの大政さんが追い詰められていくシーンがあと3工程くらい台本にけっこうしつこくあったんです。僕は基本的、粘着質なんで、しつこくやらないとだめかなと思っていたんですけど、編集したら意外と今あるのでもしつこいからいいかなと思ったんです。そこが時間的にどうしても後回しにされてしまうので、諸事情もあり撮りきれませんでした…。

三宅:でも、全然気にならないし、違和感は感じられませんでしたよ。今のでも充分しつこくて、ばっちり粘着質になってますからね(笑)。

井口:大政さんを攻めるところとかも、けっこうしつこく撮っているんですよ(笑)。

三宅:あそこね……(笑)。殺すでもなく、何がしたいんだ? みたいな感じの(笑)。早送りしてあの長さってことは、相当撮ってるでしょ?

井口:2分くらい撮りました(笑)。早送りしても充分長いんですもんね。あの“ぎぃ”の動きは、僕の願望といったら変ですけど、僕の茶目っ気が出ているんですよ。コミュニケーションしたいだけだよって言いたいんです。

──撮影現場が一軒家だったんで、昔の新耳みたいに米をバンバン投げつけるんじゃないかと思っていました(笑)。

井口:そこは自分のストイックさと戦いましたね(笑)。

三宅:よく「あの長い手でペタペタやるのも、シナリオに書いてあったの?」って訊かれるんですけど、書いてません(笑)。元々、僕が考えた“ぎぃ”は、あまり茶目っ気はなくて、もっと不気味というか、「顔の見えない化け物=影」という感じでした。これはなんでかというと、そもそも剛くんが“ぎぃ”の絵を描くようになったのは、お父さんが家を出て行ってからなんじゃないかと考えたからなんです。家庭から失われた「父性」や「男らしさ」。そういったものに対する、剛くんの幼くて歪んだ想いが「真っ黒で顔の見えない大柄な男」というカタチで現れたんじゃないかと思うんですね。本当は剛くんは、お父さんの絵が描きたかったのかもしれない。でも、辛いこととかいろいろ思いだしちゃうから、お父さんの顔が描けない。“ぎぃ”が真っ黒で顔がないのはそのためだと。だから、“ぎぃ”に独自の顔は要らんのだと(笑)。さっき、井口さんが仰ってた「ラストで顔を写すかどうかで議論になった」というのはこの点です。僕と井口さんとの間で、“ぎぃ”に対する解釈がちょっと違うんですね。でも、結果的には井口さんの解釈で正解だと思います。自分の脚本が「文字通りに撮られて嬉しかったこと」なんて一度もないですよ。脚本家と監督が、ドラマの本質の部分で理解し合えていたら、細かい描写や解釈の違いなんて、たいした問題じゃない。シナリオなんて現場で変わって当たり前なんですから(笑)。

井口:すいません…(笑)。“ぎぃ”を見ていると、レザーフェイスにも見えてくるなとか、肩の上に子供乗せられるなとか欲が出てくるんです。

──レザーフェイスみたいに大政さんを掴むシーンがありましたね。あのシーンは意図的に入れたんですか?

井口:意図的に入れましたね。

三宅:でも、掴んでなにするわけでもないんだよね(笑)。

井口:うん。別になにするわけでもないんだよね。ガっと掴んであとは触手でペタペタ触るだけですからね(笑)。怪奇現象の怖いところって不条理じゃないですか。結局、おばけって何がしたいの?っていうのが怖いんですよね。なんのために出てきたの?っていう感じで、わからない方が化け物っぽいかなと思ったんです。

──『ぎぃ』の劇中で出てくるクレヨンで描いた絵は誰が描いたんですか?

井口:助監督が描いたのも何枚か混じっているんですけど、あとは子役の加藤君が描いたんです。やっぱり、子供が描かないと嘘っぽくなるんですよね。助監督さんや美術さんが描いたりしても、どっか嘘になるんですよね。頑張って大人が子供の絵にしてみました感がどうしても出てしまうんです。だから本人に描いてもらおうと考えていたんです。そういうところで作品の厚みが変わってくると思うんですよね。

──『ぎぃ』はわかりやすく作っていて『ぶぅん』と対照的ですね。

三宅:全然違う人格になって書いてましたからね(笑)。『ぶぅん』は80年代スラッシャーという、描写的にはともかく、説話的にはとっくに淘汰されたジャンルを扱っていたので、冷静な批評眼というか、なるべく俯瞰的に書いていこうとしたんです。でも、『ぎぃ』はまったく逆。メチャクチャ入り込んで書きました(笑)。完全に剛くんになりきってましたね(笑)。執筆中は冷静じゃなかったし、怒りもこもってました。

──何の怒りですか!?

三宅:ヒロインの亜季に対する怒りです。これ話すと、ちょっと長くなるんですけど……(笑)。よく、剛くんのお母さんや、途中で出てくる拓也くんのお母さんを「悪人」だと言う人がいるんですけど、全然ちがいます。たしかに態度は悪いかもしれないけど、ふたりとも単に正直なだけですから、「悪人」どころかむしろ誠実なんです。少なくとも、自分が理解する気のない相手に、わざわざ関わろうとしたりはしませんからね。ところが、亜季は平気でそういうことをする。初めから剛くんに疑念や不快感を抱いていたにもかかわらず、どんどん関わってくる(笑)。あれって一見、愛情のようですけど、実は同情でしかない。一番タチが悪いのは、剛くんのことを本気で理解する気なんてないのに、理解しようとするそぶりだけは見せることです。だから、剛くんは怒るんです。悲しくなるんです。「どうしてウソつくの?」って。そんなんだったら、最初からほっといてくれ、独りにしといてくれ、ってことなんですよ。彼は、あの歳ですでに孤独に慣れてしまっている。母親との関係も含めて、他人に対しては、とっくに「あきらめてる」わけです。だから、初めて亜季に会った時に「どうせいなくなっちゃうんでしょ」って台詞が出てくる。ところが、その後、亜季が中途半端な児童心理学の知識を盾に近寄ってくるもんだから、「あれ、この人だったらもしかして……」と期待してしまった。その分、裏切られたと感じた時にはこたえますよね。残酷なんですよ、亜季のやってることは。無自覚なだけに、始末が悪いんです(笑)。冒頭で引用したユングの言葉「誰もが認めなくてはならないもうひとつの人格。それが「影」である」というのは、一見、剛くんと“ぎぃ”の関係を差しているようで、実は亜季の偽善的な側面のことでもあるんです。後半で、亜季は一瞬もためらわずに包丁を向けるでしょ。いくら身の危険があったとは言っても、相手は幼稚園の子供ですよ。あの瞬間、ようやく彼女は正直になったんだと思います。自分でクリエイトしたキャラクターなのに、書いててホントに腹が立ちましたね(笑)。だからこの話って、一見、「何の罪もない女性が恐ろしい目に遭う不条理」に見えるんですけど、実は「何の罪もないと思いこんでいる女性が恐ろしい目に遭う条理(不条理ではなく)」なんです。

──剛君が「お風呂に一緒に入ろう」と言うシーンは井口監督のテイストですか?

井口:いや、最初からあったんですよ。ラストにもう一回出すっていうのは、三宅さんとふたりで話して、決めました。あれはキーワードですよね。僕自身、三宅さんと一緒で、剛君に感情移入して作ったんです。男のキャラクターを演出して、初めて感情移入して撮れたんですよ。三宅さんも一緒だと思うんですけど、亜季に対しては、やさしい女の子ならではの残酷さってあるじゃないですか。例えば、「今度一緒にご飯食べようよ。」「いいですよ」って言って来たら、もうひとり女の子を連れてきたりだとか、「飲みにいきましょうよ」って言葉が、いつの間にかみんなでに摩り替わっていたりとか、そういう残酷さですよ。子供の目から観ると明らかになるんですよね。大人はしょがないって思ったりするんですけど、剛君は6歳だから純粋なんですよね。だから、亜季の優しさが、一度偽善に思えたら、その後は悪にしか感じれなくなってしまうんです。「お風呂入ろう」って言って、簡単に「いいよ」って言ってしまうことに僕ら男子は怒りを感じるわけですよ(笑)。

──亜季のベビーシッターに行くという発想がよかったですね、

三宅:ありがとうございます。あの発想にいきつくまでが大変でしたね(笑)。原作はとても短くて、舞台もマンションの一室のみです。ひとり暮らしのOLが「謎の声=“ぎぃ”」と交流するという、「座敷童」的な展開でした。すでに主演は大政さんと決まっていたので、「じゃあ、原作のOLの年齢をすこし下げれば成り立つかな」ぐらいに甘く考えてたんですよ(笑)。ところが、キングレコードの山口プロデューサーから「“ぎぃ”と交流するのは子供にしたい」という要望が出た。で、「なるほど、子供が主人公というのも面白そうだな」と。ところが、BS-iの丹羽プロデューサーは「いやいや、主人公は大政にしてくれなきゃ困る」と仰る。さてどうしよう、と(笑)。この段階で、原作とはかけ離れたストーリーになるな、という予感はありました。一方で、僕の方としても、せっかく初めて井口さんとご一緒するんだし、何かしらエロスの要素も入れたいという想いがあって……。でも、テレビですからね(笑)。血もろくに出せないのに、ティーンのヒロインでエロスなんてありえないじゃないですか(笑)。どうすれば、放送コードの範囲内でエロスの要素を入れられて、且つ、子供をメインにしつつも、主演は大政さんという状態で、短い原作を50分弱のドラマに引き延ばして、予算内に収められるだろうか……。散々、悩んだ結果、70年代のイタリア映画によくあった家政婦モノ。例えば『青い体験』のような。ああいった方向性なら全ての条件がクリアできるかも、と思ったんです。

──確かに『ぎぃ』のほうがクラシカルな感じはしますね。

井口:なんとなく、家庭教師といえばカチューシャでちょっとフリフリした服装というイメージがあったんです。実際には違うと思うんですけど、こんな家庭教師がいたらいいなという男の夢が亜季のスタイリングになっている気がします。

──最終的にお風呂に一緒にはいる画になるのかと思っていました。

井口:そんなわけないじゃないですか(笑)。そこは、観た人の脳の中で作ってくれたらいいなと思います。

──『ぎぃ』のみどころは?

井口:観ている人に後味の悪さを与えたいというか、トラウマになってくれればいいなと思います。そういう意味では子供にも観せたい作品ではあるんですけど、日常的なところから始まって、得体の知れないものにたどり着くようなものにしたいなと思っていたので、観た人が嫌な気持ちになってくれればいいです。あと、剛君の顔の表情ひとつひとつに僕の感情が込められていますのでホラー描写と共に、「お風呂」入ろうという言葉に深い闇がありますので見てほしいなと思います。

三宅隆太
1972年生まれ。学生時代から若松プロの助監督をはじめ、映画やTVドラマ、PVなどに撮影・照明スタッフとして多数参加。処女作の16ミリ作品『風のない部屋』(93)が、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で審査員特別賞受賞。『怪談新耳袋』『ほんとにあった怖い話』などのシリーズで監督をするかたわら、『ケータイ刑事』『恋する日曜日』『怪談百物語』『ニュータイプ』等で脚本家としても才能を発揮している。

井口昇
1969年、東京生まれ。学生時代に8ミリ作品『わびしゃび』(89)を撮り、イメージフォーラムフェスティバルに入選。『クルシメさん』『恋する幼虫』など独自の世界観で多くの支持を得る。『おいら女蛮』『猫目小僧』などでは原作の映画化に挑戦し、実力を発揮している。映画監督、AV監督として活躍する一方で、劇団大人計画などで、俳優としても活動。8月には『片腕マシンガール』の公開を控えている。

怪談新耳袋スペシャル
『ぎぃ』
原作:木原浩勝、中山市朗
監督:井口昇
脚本:三宅隆太プロデューサー:丹羽多聞アンドリウ、山口幸彦
出演:大政絢、加藤清史朗、八木小緒里、ちん







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